3か月で個性がわかる?
……さて……、個人的な話です。
とあるブログ論に、「ブログを3か月間毎日書き続けると、自分のブログの個性がわかってくる」というのがあるのですね。
つまり、「手始めに3か月続けてみれば、自分の強みを見つけることができるので、それからはその強みを元に書き続けていけばいい」ということなのですね。多分……。
……当方いちおうこうしてブログを毎日休まず無休で更新し続けておりますが、まだ今月で3か月越えしたばかりの初心者なのですね。
とりあえず先日3か月記念に(?)最初は3つしかなかったカテゴリを細かく分けてみたのですね。
上のブログ論に従うなら3か月は自分の個性がわかり始める分岐点であり、個性がわかり始めるということはすなわち記事ごとの傾向が見えてくるということですから、カテゴリ分けをするのにも丁度いい時期なのですね、多分……。
なんにせよ、右の「カテゴリ」モジュールを見て頂くとわかりますが、新しいカテゴリの内訳はこうなのですね……
- 宇宙
- IT・技術
- 生物・環境
- 暮らし
- 文化・行事
- テレビ・映画
- ゲーム・趣味
- 海外
- 地域・国内
- きつねのひとりごと
……いちおう3個から10個に増えはしましたが、それでもけっこう大雑把なのですね。
特定の専門分野を持たず、色々なジャンルについて書いているのでこのようになってしまうのでしょう。
また、カテゴリ分けしてみた結果、カテゴリごとに数の偏りが目立つようになったため、自分の書く記事の傾向もわかってきたのですね。
それによると「生物・環境」が最も多く、次いで「宇宙」、「きつねのひとりごと」……と続くのですね。
「きつねのひとりごと」は私が思ったことを書いている記事を「とりあえず放り込む」カテゴリなので、正確にはジャンルを問わないため数には入らないと思うのですが、それを除いたとしてもどうにも私は「生物」や「宇宙」関連の記事を書くのが好きなようです。
もちろんこの10個のカテゴリだけで全てが決まるわけではないとは思うのですが……、こうして3か月続けてみることで、自分がネタを集める時の傾向も大体わかってきたのですね。
カテゴリ分けで見えてきたブログの傾向
……きつね、ネタは大抵ニュースから拾ってくるのですね。
……ほとんど職場と住んでいるところを往復しているだけの生活で、したがって特に友達と遊んだり同僚と飲みに行ったりだとかはしないので、ネタになりそうな面白い情報といえばニュースくらいでしか得られないのですね。
なんにせよそれでわかったことは、総合するとこのようなことなのですね……。
- 政治が嫌い
- お金が嫌い
- 芸能関係に疎い
- スポーツに疎い
- 生物が好き
- 科学が好き
………なんだかきれいに分かれました。
芸能やスポーツは単に「知識がない」「興味がない」というだけだと思うのですが、その上下で好き嫌いがきっぱり分かれてしまったのですね。
……おそらく私はドロドロしたものが嫌いで純粋なものが好きなのだろうと思われます。
というのも、政治はどうしてもお互いの腹の探り合いになり、「騙し、騙される」というたぐいの話になってしまうのですね。
……「嘘を吐く」ことが前提で成り立っている世界……きっとこれが嫌なのですね……。
またお金に関しては、コインや紙幣については綺麗だとかデザインが良いとかで好きになれるのですね。
つまり、「純粋な芸術作品と見た場合のお金」は別に嫌いではないのです。
実際きつねは記念硬貨だのプルーフコインだの珍しいコインをいろいろ集めるのが好きなのですね。
ですがどうやら経済の話になると……駄目なのですね。
おそらく経済というものには「お金持ちの社長が財力で他の会社を買収した」だの「経営を維持するために従業員を解雇して、自分はお給料を誤魔化してたくさんもらっていた」だの「お金持ちが贅沢三昧な生活をしていて、庶民が貧困にあえいでいる」だの、そういった「不条理」が少なからず伴われているので、それが嫌なのだろうと思うのです。
冷静に考えるとお金はただの「道具」であり、道具とは「みんなの生活を豊かにするもの」であるはずなのですが、お金は他の道具とはちがって「一部の人たちだけを豊かにして、多くの人たちを不幸にする」のですね。
お金を持っている人はそのお金を使ってさらにお金を儲けることができます。
ですがお金を持っていない人は日々の生活だけで精一杯……とてもじゃありませんがそのようなことはできないのですね。
また、このお金……ご存知の通り親から子へと受け継がれますね。
お金持ちの子はお金持ちのままですが、貧しい人の子もまた貧しいままです。
もちろんお金をたくさん持っている一部の人たちがその気になりさえすれば他のみんなを幸せにすることができるはずなのですが、残念ながらお金持ちは殆どがみんな自分たちのことしか考えていませんね。
「自分はお金をたくさん持っているから、貧しい人たちを助けるために使おう」……などと考えることができる人が一体どれほどいるのでしょうか。
「お金持ちはみんな冷血で自分のことしか考えていない」とは思いませんが、他の人のことを考えられる人であったとしても、「お金持ち」にとってはお金があるのが当たり前であり、そのためそもそも「お金を持っていない人がいる」ということにすら気づかない人もいるのですね。
……それではいくら「人のことを考える」ことができても、相手のためにお金を使おうだなんて思い付きませんね。だって「相手もお金を持っているだろう」ということが前提なんですから。
私としては「お金があるのになんでみんなを助けないの?」と言いたいですし、道理からしてそうすることが「お金持ち」の責任であると思われますが、「お金持ちは貧しい人を助けなさい」なんていう法律はありませんし、そもそも彼らは「助けるべき人の存在」にすら気付いていないのですから仕方がありませんね。
つまり、お金は大きな格差を生みますが、それを無くすのには使えそうにないのですね。
本当ならば「格差を正すために」こそお金を使いたいところなのですが……これじゃぁまるでアクセルは付いているのにブレーキが無いおかしな車のようだ。
そんな車、「道具」としては破たんしていますね。体よく人を放り込んで事故らせる「凶器」としてはいいかもしれませんが。
もちろん動物の世界にも「格差」はありますが、人間世界のそれとは違って世代を超えて受け継がれることは殆どありませんし、そもそも最初からそんなに大きな差ではありませんから、個人の努力で何とかなるのですね。
……つまり、あくまで「多様性」の範疇なのですね。
ですが人間同士や人間とかかわりを持った動物同士の間に生じる「格差」は非常に深刻なもので、もはや個人レベルの努力ではどうすることもできないのですね。
そしてそんな不条理の元凶が「お金」なのですね。
このため私はお金の話が嫌いなのだろうと思われます。
生物や科学は純粋にその分野を究めようとする人たちの想いで回っている分野なのですね。
普段は政治的にはいがみ合っている国でもたとえば宇宙分野では協力し合っていたりしますね。
国境を越え、純粋に技術のみを追求しようと高め合う技術者たちの想いが伝わってきますね。まさに「下町ロケット」の世界だ。
また、生物学というのは「生き物が好きな人」つまり、「自分たち以外に対しても愛情を持てる人」にしかできないことなのですね。
「自分のためにしかお金を使わないお金持ち」のように「他の奴らなんてどうでもいい」と考えている人には「決して研究できない」崇高な学問ですね。
色々な研究結果などを見るたび、学者さんたちの生き物への愛が伝わってきて好きなのですね。生き物たちも可愛いし。
……生物好きに悪い人はいない。
「キツネのようなブログ」がいい?
ううむ……これらのことを踏まえてみると……。
どうにも「生物」や「科学」、ついでに「自分の趣味」を中心とした路線で進んでいくのがよさそうです。「ゲーム・趣味」カテゴリの記事ももっと増やそうか知らん。
このブログはそもそもがいわゆる「雑記ブログ」であり、私が好奇心に任せていろいろ気になったことを書いているだけなので、したがって「専門分野」と呼べるようなものはないはずなのですが、「専門」とはいかなくてもこのように「力を入れている分野」があってもいいのかもしれません。
つまり、キツネが「肉食に近い雑食」であるように、このブログも「科学やいきものブログに近い雑記ブログ」であってもいいとおもうのですね。
……こ……これは……!
……私にぴったりですね。
よし……決めた。
とりあえずしばらくはこの方向性で続けていくことにしましょう。