きつねとべっつりコーラのブログ。

きつねとべっつりコーラの2匹が、日々の出来事について思ったことや感じたことをただ淡々と述べていくだけのブログ。生物多め。

囲碁「最年少プロ」誕生の経緯に対して感じた違和感

仲邑菫さん来年4月にプロ入り!

最近将棋だのオセロだの囲碁だの、さまざまな「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の世界で若い人たちが活躍していますね。

その囲碁で、今話題の大阪府の小学生、仲邑菫さんがことし4月にいよいよプロ入りするのですね。

話題になっているのはなんといっても異例の若さでプロになるから……なのですね。

プロ入りに先立ち(?)、今朝の新聞ではそもそもなぜ仲邑さんが最年少プロになったのか、その背景を解説していました。


……ですがきつね、それを見て少々おかしいと思ったのですね。


プロになる「ごく普通の」方法

まず、前提として……。

仲邑さん、従来の方法とはかなり異なるやり方でプロになるようです。

日本で囲碁のプロになる場合、普通は決まったルートを辿る必要があるのですね。
ルートは大きく分けて2つあり、日本棋院の傘下で囲碁を学ぶ「院生」になるか、もしくは外来として日本棋院の行う「棋士採用試験」を受けるかする必要があるのですね。

「院生」というのは大学院生……ではなくて。
囲碁のプロを目指す人が日本棋院のもとで囲碁を学んでいる時、それを「院生」と呼ぶのですね。


……つまり、「専門学校生」みたいなものなのですね……囲碁の。


この院生、実際には専門学校に入るような年齢にならなくても、試験に合格すればなれるのですね。

つまり年齢の下限は無いのですね。

ですが上限はきっちり決められているようで、14歳までとなっているようです。


………意味がわかりませんね。
上限を決めるなら下限も決めるべきだと思うのですが……。


この院生になったのち、プロ採用試験に合格することでプロになるのですね。

院生でいられるのは17歳までなので、せっかく14歳までに院生になったとしてもそれまでに合格しなければ結局はプロにはなれないのですね。


……いくつで一人前にするつもりなのだろうか。


またもう1つの道である「外来からプロになる」という選択肢では、文字通り「院生」を経験せずに直接「棋士採用試験」を受けるのですね。
そこで合格すれば晴れてプロ入りできるようですが、どういうわけか「院生がプロになる」よりも難易度が高いのですね。

またここにも年齢の上限があり、試験を受けられるのは23歳未満までとなっているようです。


……あの閉鎖的な「将棋」ですら41歳で編入試験に合格してプロになった人がいるというのに。


この意味不明な「年齢制限」に関しては後で触れることにしましょう。
ここで大事なのは仲邑さんがプロになったやり方が、上に書いたどちらでもない、ということなのですね。

仲邑さんの年齢は9歳ですし、囲碁のプロに年齢の下限はありませんから、上に書いた「普通の」やり方でもプロにはなれるものと思われます。

ですがどうやら違うのですね。いったいどのようにしてプロになったのでしょうか。


仲邑さんがプロになった方法

どうやら去年12月に新しく「英才枠」なる「枠」ができたようなのですね。

これは日本棋院に所属する「七大棋戦タイトルホルダー」と「ナショナルチームコーチ」の3分の2以上が賛成すれば特別にプロとして採用されるという枠なのですね。


……つまり、エラい人が認めてくれれば試験を受けなくてもプロになっていいよ。という枠らしいです。


対象となるのは全国の「特別な実力を持つ小学生」なのですね。
おそらく「特別な実力を持つ小学生」を推薦し、エラい人たちがOKを出せばそのままプロになれるものと思われます。


……この時点で疑問がわきますね。
その「特別な実力を持つ小学生」なんて、一体どうやって見つけるのでしょうか。日本全国の小学生棋士をエラい人たちが常に捜して歩くのでしょうか。


……そんなわけにはいきませんよね。

それでは同じ「特別な実力を持つ小学生」でも、「たまたま見つけてもらえた人」と「誰にも見つけてもらえなかった人」との間に大きな差が生じてしまい、囲碁業界の新たなる「社会問題」として歴史に刻み込まれてしまうものと思われます。


……これは去年誕生したばかりの新しい制度ですから色々と潜在的なバグが沢山潜んでいてもおかしくありませんし、ここで「囲碁プロ棋士英才枠」なる制度がちゃんと機能しているのか否かについて触れると話題がずれますので、仲邑さんの話に戻します。


なんにせよ仲邑さんはこの制度でプロになった第1号なのですね。

実際は他のやり方でプロになるという道もあったそうなのですが、日本棋院副理事長の小林さんは「そんな悠長に待っていられない。世界を狙える子はできるだけ早くプロのステージに上げなければ!」と仰っているのだそうです。

一体何をそんなに焦っているんだと言いたくなるのですが、実は深い理由があるようなのですね……。


囲碁大国ニッポン!……はもはや遠い過去の話

どうにも日本の囲碁界、今現在状況が芳しくないようです……色々な意味で。

囲碁は知っての通り4000年ほど前の中国で生まれたもので、現在は中国以外にも日本、韓国、台湾、果てはヨーロッパやアメリカなど、世界各国で打たれている世界規模の人気競技なのですね。

世界一人気のチェスに比べれば文字通りケタが1つ違って比べものになりませんし、囲碁の「世界人口」はオセロの「日本人口」にさえも追いつけないような状況ですが、それでも囲碁は世界に数千万人規模の競技人口を誇っているのですね。

ただ国内ではというと、30年ほど前と比べると競技人口は半分以下になり、また実力でもライバルである中国や韓国に大きく引き離されてしまっているのですね。

早い話が「ライバルに勝てなくなり」、また「国内での人気も無くなった」のですね。


……こ……これは深刻な問題です……。
もはやかつての栄光は見る影もない……。
これぞまさに「栄枯盛衰」であり「諸行無常」、「色即是空、空即是色」なのですね!


そのため日本の囲碁界は世界でも通用する棋士を求めて新たなるプロの採用方法を設けたようなのですね。

中国や韓国では家族ぐるみで名門道場の近くに移り住み、「囲碁以外やってはいけません!」の一声を元に未来の才能の「子供時代を台無しにする」文字通り「囲碁漬け」の教育を施すのですね。

ですが日本では義務教育の方が優先されているため、おなじ方法をとることができません。

もし義務教育が無かったとしてもそんなやり方真似した時点で人権問題に発展する危険性をはらんでいますが、我らが「人権先進国」であり「差別やハラスメントが世界でも類を見ないほど少ない国」であるニッポンはそのような小さな問題は気にも留めないようです。

けれど、たとえ「人権問題に目をつぶって中国や韓国の真似をしよう」としたとしても、義務教育が優先されるこの国ではそんなことは法律上できませんから、「敢えて早くプロに起用し、プロの中で強くなってもらう」という方法を考えたのですね。

……なるほど「人権問題」よりも「義務教育」の方が気になったのですね。文科省が知ったら泣いて喜ぶに違いありません。

……なんにせよつまり、「学歴がなんだ!仕事なんて、会社に入ってから覚えりゃいいんだ!」というスタンスをとったのですね……そんな下町の人情社長みたいに親切な動機ではないとは思いますが。


現代版「Pawn Sacrifice」!?

つまりまとめると、日本囲碁界は世界に通用する才能を育てたいということなのですね。

……早い話が、中国や韓国に勝ちたいのですね。

その裏には中韓に追い抜かれて焦る日本囲碁界の心情がよく表れているようです……今後も全国各地にクモの巣の如く定置網を仕掛け、現れる「神童」達を一網打尽にして吸収し、日本囲碁界の戦力としていくようです。

なるほど経営としてはまことに合理的な考え方です。極限までムダをそぎ落とし、周囲で見ている人たちの感情すらをも度外視しているのですね。

使えるものは何でも使う……全部すべて自分たちのため。まさに「立っているものは小学生でも使え」なのですね。


ですが……言い換えるとそれ、囲碁界の発展と中韓に対する勝利のために年端もゆかぬ小学生たちを利用する」ということなのですね。


………囲碁界にとって棋士たちは一緒に戦ってくれる大切な仲間なのかと思っていたのですが、こういう記事を見ていると残念ながらただの道具なのだろうかと思わざるを得ないのですね。

だって、「業界の発展のために新しい才能を発掘する」……などと言えば聞こえはいいですが、要するにそれは「今までの奴らじゃ使えないから、新しいのを入れよう」ということなのですね。
これでは「OSのサポートが終わって使えなくなったからパソコンを新調する」と言っているのとなんら変わりありません。


……囲碁界の意図はきっと別にあるのでしょうし、さすがにそんな非人道的なことは考えないだろうと思いたいところです………が、客観的に見ている他所の業界の人にはそのように解釈されてしまってもおかしくないでしょう。


組織のために、個人を利用する………典型的な「全体主義」ですが、なんだかどこかで見たような気がします。

もちろんそれは「ブラック企業」や「外国人労働者」など、この国で今でも普通に行われていることですが、どうにももっと昔に似たようなことがあった気がするのですね。


…………ああ、思い出しました。


…………戦時中ですね。


あの時はアメリカはじめ諸外国という「脅威」と戦うため、日本国民が一致団結して全体主義的に振る舞い、その後の歴史においても諸外国の人たち果ては日本人自身にも「日本=全体主義の国」という負のイメージを植え付けてしまったのでした。

おそらく今回も「中韓囲碁界」という「脅威」であり「共通の敵」を持った日本囲碁界が、「共通の敵」であるところの中韓を倒すために「個人」を利用しようという「全体主義」思想に走ったものと思われます。

外部からの「脅威」にさらされて「共通の敵」を持つと人様の人格を無視した「全体主義」に走ってしまう、というのは人間の性でありある意味本能だと思うので仕方がないとは思いますが、今回は「戦争」ではありません。
別に負けたとしても人が死ぬわけではありませんし国が亡びるわけでもありません。


……ここまでする必要があるのでしょうか。

そもそも囲碁の本場は中国なのですね。本場に負けても別に悔しがる必要はないと思いますし、本場に勝つために小学生たちを利用するって……そんなやり方、する必要あるのでしょうか。


きっと「英才枠」で採用された子供たちも、先の大戦に散って行った幾多の兵隊さんたちと同じく、日本囲碁界のために使い潰されて用が無くなったら気軽にポイ!と捨てられてしまうのだろう。
囲碁の世界しか知らない彼らはこの不況の中でその後の就職口も上手く見つけることができず、半永久的に路頭に迷う生活を強いられてしまうに違いない!
果ては国民の健康で文化的な最低限度の生活を守る最後の砦であるところの「生活保護」を受給しなければならない状況にまで追い込まれ、温かくて寛大で寛容な民主主義の最高峰……つまり、「スーパー人権先進国」であるこの国の社会の、その中でも特に寛容で人権に敏感で心の優しい人たちによって「生活保護バッシング」されてしまうのだろう、きっとそうだ!そうに違いない!!


こ……これは……!!!!


……まさに「Pawn Sacrifice」ですね。


同名の映画でも語られている米ソ冷戦中のある1コマを思い出すのですね。

あの時はスポーツだの芸術だのあらゆる分野でアメリカとソ連がいがみ合っていたのですね。
その1分野である「チェス」業界においても、お互いに「打倒アメリカ!」「打倒ソ連!」で燃えていたのですね。

そしてそれぞれの国を代表するとある棋士たちによって、「盤上の代理戦争」が繰り広げられたのですね。


……つまり、「お国のために勝ってこい!」と国が棋士を政治利用したのですね。戦時中の日本と同じですね。


「ポーン・サクリファイス」とはすなわち最も弱い駒である「ポーン(歩兵)」を、戦術のために「捨て駒にする」ことなのですね。

自分の「友達」であり「戦友」である「駒」を作戦のためとはいえ犠牲にしてしまう「捨て駒」は、棋士にとっては非常に心が痛む「苦渋の決断」なのですが、おそらくここで言う「捨て駒」は一般的に言われている「粗末に扱う」という意味だと思われます。


……つまり、「国が棋士(ポーン)」を政治利用して粗末に扱った」、「利用するだけ利用して後はポイ!」……という意味なのですね。

……実際、この後この2人の棋士はそれぞれ母国にいられなくなったのですね。


「国」と「一国の囲碁業界」ですから規模こそ違いますが、今回の「英才枠」なる枠組みも「ライバルに勝つために棋士を利用する」という根本的な部分は同じであるものと思われます。


こ……これは……!

日本人が美徳とする「おれが死んでもみんなを守る!」精神、いわゆる「自己犠牲」の精神をもののみごと体現しているに違いない!


……そんな精神、「自分から進んでやる」から美徳なのであって、「他の人から強要される」のはただの「パワハラ」以外の何物でもないのですが、こういうことはおそらく「ブラック企業に勤めている人は自分の会社がブラックだとなかなか気付けない」のと同じで「客観的に見ればおかしいと気付くが業界にどっぷりつかって働かされている人たちは気付けない」ということなのでしょう。

ましてや「人生経験に乏しく」「囲碁界しか知らないように」「囲碁界によって」調教・教育された小さな子供ではなおさらなのですね。

そして当の囲碁界は何も知らないいたいけな小学生が「一生懸命頑張ります!」などと言っているのをいいことに「本人が納得しているのだからいいじゃないか!」などと言い張るわけなのですねなるほど。


………冗談じゃぁありませんね。


相手が何もわからないのをいいことに「業界スタンダード」を押しつけ、またそれに疑問を挟む者を弾劾する……いや、もっと悪いことに、そもそも「疑問を挟む余地」すらも与えない。

……典型的な「ブラック企業」ですね。
いかにも閉鎖的で卑怯で卑劣でオックビョーで日本企業的なやり方だと思わざるを得ません。


こんなやり方をしているから囲碁は人気が出ないのではなかろうか……「中国や韓国に負けているから人気が無い」のではなくて。

業界の体質への評価がそのまま本来は関係の無いはずの「ゲームそのもの」に対する評価につながってしまうというのはよくあることです。

きつねもちょっとだけ囲碁が嫌いになったのですね。


また、「ポーンはチェスの魂」という有名な格言があるのですね。
詳しい意味は長くなるので省略しますが、将棋の格言「歩のない将棋は負け将棋」にちょっと似ています。

……要するに、「ポーンを笑うものはポーンに泣く」のですね。


……日本の囲碁界がそのようなことにならないよう祈るしかないですね。


年齢制限が害悪にしか見えない件

長々といろいろ書いてしまいましたが、囲碁界の事情も理解することはできます。

自分よりも環境的に恵まれたライバルに先を越されてしまった時の焦りと理不尽さは、経験したことのある人ならば痛いほどわかるのですね。
それを克服するために、時には「非人道的な」やり方に手を染めたくなってしまうということも。


話が前後しますが、将棋に同じく囲碁のプロにも年齢制限があるのですね。

これは「残念ながら一定の年齢になるまでプロになれなかった志望者には一旦諦めてもらって、他の業界を経験してまずは社会人としての基盤を築いてからまた外来として挑戦して欲しい」という意図が込められているようです。

つまり、制限を設けずプロ試験を受け続けさせて「囲碁しか知らない人間」になるよりは、一旦諦めて普通の社会人として働き、人生に必要な色々なことを身に着けて、それからもう一度チャレンジしてくれればいい。
もしそれでプロになれなかったとしても、もう社会人としての基礎は備わっているから、他の業界でも十分にやっていける……。

…………という意図らしいのですね。


決して未だに「小さいころからこれだけをやってないと上達しない」などという科学的根拠もない古き悪き時代の常識と価値観を引きずっている、というわけではないようです………だよね?


……単に「囲碁業界がもはや飽和状態で制限を設けなければプロ棋士が際限なく増え続けてしまうから」という意図もあるらしいのですが……。
……なんだかイヤな現実を見た気がしますね。


ただ、この年齢制限こそが囲碁界のやりたがっている「世界で通用する人材の発掘」の妨げになっているように思えてなりません。
院生としてプロ試験を受け続けたにもかかわらず、結局受かる前に制限年齢を迎えてしまい悔しい思いをした……という人は数多いはずです。あと1年頑張れば受かったかもしれないのに。

また、「一旦諦めて社会人になってから出直す」にしても、外来として試験を受けるには23歳までにやらなければなりません。
院生でいられるのは17歳までですから、その後で社会人を経験するとしても6年しかありません。

と、いうか、そうなると大学に行かないことが前提になってしまいます。
この「学歴社会などという負の遺産は当の昔に終わりを迎えた素晴らしき人権大国」ニッポンにおいて、最終的に大学を経験させずに他の業界に行かせるというのは、「他の業界では確実に成功できる」ということなのですね。


……つまり、このような制限は大して意味がない……と、いうより、囲碁界にとってもプロ試験を受けに来てくれる人にとっても重荷以外の何物でもないと思うのですね。


こんなことならいっそのこと年齢制限を取っ払ってしまうか、それが無理ならせめてもう少し引き上げるかしてもいいと思うのですが……。

また年齢の上限は無くしたとしても、下限は設ける必要があるものと思われます。

……「史上最年少のプロ棋士」の年齢は今でこそ10歳ですが、下限を設けずに続けたらそのうち9歳、7歳、5歳と後退していき、ついには3歳、1歳、0歳、マイナス135歳などトンデモない数字になってしまいかねません。


……なんだか「不必要なものはあるのに必要なものが無い」という典型的な「残念な会社」になっている気がします。

ライバルに勝つうんぬん以前に、もう少し組織として先進的な考え方をした方が上手くいくのではないでしょうか……。