何とはなしに、きつねとコーラ。

管理人のきつねとその相棒のべっつりコーラが、日々の出来事について思ったことや感じたことをただ淡々と述べていくだけのブログ。

大事なことなのに学校では教えてくれない?「分類学」で人生が豊かになる……かも

分類学……

……本日の記事は割とマニアックな内容になります。当ブログの記事はいつもマニアックですが本日は格別です。

おそらく大部分の人たちにとっては興味も関心もないことですし、それを必要としているはずの人でさえ、そのほとんどが避けて通る傾向のあるものなので、こんな記事を書いてはますます人が遠ざかると思うのですが、当ブログの訪問者数はそもそもがたかが知れたものであるため、別にそのようなことを心配する必要もないと思われるため、敢えて書くことにします。

……なんだかごちゃごちゃ言いましたが、要するに「分類学」について書こうと思うのですね。

分類学……。

名前くらいは聞いたことがあるでしょうか。

生き物をその系統や体の特徴ごとに分類し、その体系をまとめ上げることによって、それぞれの生き物がどの「位置」にいるのかを理解しようとする学問なのですね。

……などと言うといささか抽象的ですから、順を追って説明しましょう。


まず、前提として……。

われわれ人間やキツネを含む生き物は全部すべて、たった1つの大きな「樹」の上にいるのですね。

「樹」というのは進化の筋道を表したもので、まずは1本の「幹」から始まり、幹から先……「枝」の方向に行くにしたがって、当然ですが細かく枝分かれしていきます。

枝の先に向かうほどにさらに細かく分かれていき、そしてその枝の末端にそれぞれの「種」があるのですね。

これを専門用語では「系統樹」と言ったりします。

なんだか難しい言葉ですね……。
とりあえずここでは厨二っぽく「進化の樹」あるいは「生命の樹」などと呼びましょうか。

ドコの神話意識してんだよとツッコミが来そうですが、なんにせよこの樹の枝一つ一つの分かれ方を探っていき、それによってそれぞれの「種」がどの枝の先にいるのか、その「位置」を探ろうというのが分類学なのですね、ざっくりいうと。


学校では教えてくれない……?

なんだか既に相当マニアックな領域に足を踏み入れてしまいましたね。
この時点で頭が痛くなってきた方もおられるかと思います。

おそらくそのせいなのでしょう。
この分類学、なぜか義務教育ではやらないのですね。

もちろん高校や大学では習う所もあるでしょう。

ですが小学校・中学校ではなぜだか教えてくれません。

より厳密に言うのなら中学校の理科の2分野の時間に少しやるのですが、本当にざっくり、ごく触りだけですし、そもそも「分類学」という名前すら出てきません。

この学問を学んでいくととても大事なことに気付くことができるのですが、残念ながらそこまで突っ込んだことはやらないのですね。
生命の樹」で言うと幹から伸びる最初の太い枝と、そこから伸びる少し細い枝を学ぶ程度で、その先のもっと細い枝の先まで学習を通すことはないのですね。

1本でも幹から枝先まで学習を通しておけば、後はそれをお手本にして各自で他の枝を学ぶことができるので、1本だけでもやっておけばいいのにと思うのですが、なかなかそうもいかないようです。

おそらく内容があまりにもマニアックすぎるので、汎用的なことを教える義務教育ではとても教えられるものではないのだと思われます。


ですがきつね、この分類学はとても大切なことを教えてくれると思うのですね。

……残念ながら本当の意味でそれらを理解するためにはこの学問を学ぶ必要がありますし、私がそれをここで説明したとしても、とても全部書き切れるものではありません。

ですがやはり具体例は必要だと思いますので、2、3だけ書いてみます。


……ここから先はさらにマニアックな話になりますので、頭が痛くなってきた方は覚悟してお進みください……。


「謎の生物」が急に身近な存在に

……なり得るのですね。

分類学というのがそもそも生物の「生命の樹」の上での位置を探るものですから、これによって未知の生き物がどこにいるのかもわかることになります。

ぜんぜん身近じゃなかった生き物が実は枝の上では自分たちに近かった……などということも多々あるのですね。


……たとえばホヤ。


たま~にお寿司屋さんで出てくる海産物ですね。

北海道産のアカホヤと、宮城県産のマボヤの2種類が知られていますが、とりあえずややこしいのでマボヤを前提に話を進めます。

この生き物……見た目は丸く、何やらマンゴーのようなパイナップルのような……果物のようなへんてこな形をしていますが、れっきとした動物なのですね。

まるでイソギンチャクか何かのように海底の岩などにくっついて生活していますが、イソギンチャクとは違って泳ぎ回ることはありませんし、毒針も持っていません。

一生を同じ場所で過ごし、その生活スタイルは「水を吸い込んで吐き出す」だけです。

これは呼吸をすると同時に海水に含まれる有機物をこしとって食べているのですが、傍から見ているとただ息をしているだけにしか見えません。

大海原の片隅で、ただそこにいて、息をしているだけ。
ただ存在しているだけで、何もしない。

まるで部屋の片隅で動きもせずひたすら空気を浄化したり湿気を加えたりしているだけの空気清浄器や加湿器のようです。


いったいこいつは何なんだ?


……そう思うのも無理はないでしょう。
おそらく多くの人にとってホヤというのは「いちおう食べられることは知っているけど、正体不明の謎の動物(?)」のはずです。

「酒のつまみにすると美味いんだよ!」などと言う「ツウ」の人以外にとってはおおよそ身近な生き物ではありません。

このホヤ、分類学的にはこのようになるのですね。


動物界-脊索動物門-尾索動物亜門-ホヤ綱


動物界……というのは「動物の枝」なのですね。つまりこの枝の上に全ての動物が乗っており、界→門→亜門→綱→目→科→属→種の順番にさらに細かい枝に分かれていきます。一番先端にある「種」の部分がその生き物の位置ですね。

……そして、われわれ哺乳類はこのような分類になります。


動物界-脊索動物門-脊椎動物亜門-哺乳綱


……あれれれ!?

「脊索動物門」までおんなじです。

「脊索動物」というのは、体の中心に1本の棒(脊索≒背骨)が通っている動物のことなのですね。
この脊索が「椎骨」と呼ばれるさらに細かい骨に分かれているのが「脊椎」であり、その構造を持つのがわれわれ「脊椎動物」です。

また、脊索動物には「脊椎動物(われわれ)」と「尾索動物(ホヤ)」のほかに「頭索動物」というものが含まれます。
頭索動物には「ナメクジウオ」という魚に似た生き物が含まれているのですが、類縁関係的には頭索動物よりも尾索動物(ホヤ)の方がわれわれ脊椎動物に近いのですね。

………と、いうことは………!
なんとホヤにも背骨があるのですね!

それどころか海の底でシューコーシューコー海水を吸っては吐いているだけのあのヘンないきものは、実は「生命の樹」の上ではわれわれに近いところにいる「ご近所さん」だったのですね!

実際ホヤは生まれたばかりのころは小さなオタマジャクシのような姿をしており、魚のように海の中を泳ぎ回って「くっつく場所」を探すのですね。
そして海底などにいい場所を見つけてくっつくと、そのまま変態して果物のような姿に変わるのですね。

このホヤ、体の殆どを占める網のような呼吸器官(咽頭)で、水の中の有機物をこしとって食べるため、海の水をきれいにしているのではないかと考えられます。


……なんと、本当に「空気清浄器」だったのですね!


ついさっきまでホヤは「よくわからない謎の生き物」でしたが、これでなんだか急に親しみがわきましたね!


イヤ~なアイツも位置がわかれば親近感

また、少し似たような話になるのですが、枝の上の位置がわかることにより距離感がつかめるため、嫌いだった生き物を受け入れられることもあるのですね。


……たとえばダニ。


血を吸うイメージがあるためか、何かとみんなから嫌われることが多い生き物ですが、実際はダニの中で血を吸うものはそんなに多くはありません。

それどころか土壌の有機物を食べて分解し、土の生産に一役買っているいわゆる「分解者」の役割を持つものもいるのですね。
……ダニの生活スタイルはあまりにも多様であり、それだけで一冊の本が書けてしまうほどなので、ここで触れるのはやめておきましょう。

なんにせよダニは生態系を底の方から支えてくれている重要な生き物なのですね。

また、ダニは分類学的には


動物界-節足動物門-鋏角亜門-クモ綱-ダニ目


に分類される動物の総称なのですね。

……あれ……クモ……?

……そう、ダニはクモに近い仲間なのですね。
クモは


動物界-節足動物門-鋏角亜門-クモ綱-クモ目


に属する動物のことですね。

クモ綱まではダニと一緒ですね!
ダニとクモはこんなに近い動物なのですね!どうりで両方とも八本足なわけです!

実はクモに近い動物だとわかったわけですから、ダニにもこれで急に親しみがわいたのではないかと思います。


……クモもダニもいやだ……?


……クモさん……かわいいと思うのですが……。

……などと私の好みを主張しても仕方がありません。

では少々近縁ではなくなりますが、カブトガニはどうでしょう。
カブトガニ


動物界-節足動物門-鋏角亜門-カブトガニ


に属する動物で、名前に「カニ」とついていますがカニの仲間(甲殻亜門)ではありません。
カブトガニは鋏角亜門なので、ダニやクモと同じ仲間……いや、むしろダニやクモ「が」カブトガニと同じ仲間なのですね!

これなら親しみが湧くでしょう、そうでしょう!
クモが嫌いな人は知っていますが、国の特別天然記念物カブトガニが嫌いな人は見たことがありません。


きっといないのですね!
…………………多分…………。


ところで、補足ですが鋏角亜門というのは「鋏角」という器官をもつ節足動物のグループなのですね。

鋏角というのは「ハサミのような形に発達した付属肢」で、昆虫の大あごのようにものを咬む機能があるのですね。
「鋏角亜門の大あご」……と言い換えてもいいかもしれません。

付属肢というのはいわゆる「節足動物のあし」のことで、歩いたり跳んだりするアレ(歩脚といいます)以外にも、触覚やあごなどが含まれるのですね。

昆虫では6本のあしは言わずもがな、クワガタムシの大きなあごや、チョウの口のストロー、セミの口の針なども、この付属肢なのですね。

クモの場合は鋏角に毒があり、咬み付くことによって獲物に注入するわけなのですが、この鋏角、進化の系統的には昆虫の「触角」に相当する器官なのですね。

……「触角」で「咬み付く」って……。
なんだかヘンな気もしますが、どの付属肢が触覚になり、どの付属肢が口器(あごや鋏角など)になり、どの付属肢が「あし(歩脚)」になるのかは「亜門」や下位分類によって違うのが節足動物ですし、その辺の柔軟性というかカスタマブルな所が彼らの魅力の1つでもありますから、これはこれでまぁいいのでしょう。

また、クモやダニやカブトガニとおなじ鋏角亜門にはほかにはサソリやヒヨケムシなどが属しています。

クモの鋏角は折り畳み式のナイフのような形をしており、左右を組み合わせることでものを挟めるのですが、ダニやカブトガニ、サソリやヒヨケムシの鋏角は名前のとおりハサミの形をしているので、片方だけでものが掴める(咬める?)のですね。

「触角」は「触る角」ですが、鋏角は文字通り「ハサミ型の角」なのですね。ここで言う「角」というのは頭についている付属肢のことでしょう。


なんにせよ、ここまでわかればダニに対しても親近感がわくのではないでしょうか。
なんといってもあの「カブトガニ」や「サソリ」の仲間なのですから!


他にもたくさんあるけど……

……たった2つ説明しただけで、これだけの文字数を費やしてしまいました……。

ですがこの学問が教えてくれる大事なことは当然ながらまだまだたくさんあるのですね。


やはり大きいのは進化の筋道を学べることでしょう。

地球上の生命は絶えず変化を繰り返しており、全ての生物が「進化の途上」にあります。

つまりこれからまだまだ枝は伸びてゆきますし、私たちも他の生き物に変わっていく可能性があるのですね。

また途上であるがゆえに完璧な生物は存在せず、完璧ではないがゆえに生命は成り立っているのですね。

なぜならある環境下においての「長所」は、そのまま別の環境では「短所」になり得るため、「あっちを立てればこっちが立たない」ということが進化では頻繁に起こります。

例えばアホウドリの大きな翼は空を優雅に滑空するのには適していますが、翼が大きいがゆえに水中を泳ぐことはできません。
逆にペンギンの小さな翼では空を飛ぶことはできませんが、小さいがゆえに海の中を自在に泳ぎ回ることができるのですね。

これこそが生物の多様性を生み出しているのですね。
翼が大きいことだけが「長所」なら、翼の小さい鳥は出現しないでしょう。


また、今まで進化の途上で多くの生き物が絶滅してきました。

ですがそれは決して絶滅してしまった生き物が悪いのではなく、彼らの「長所」だったものがたまたま環境に合わなくなってしまっただけなのですね。

逆に言えば、生き残った生き物が特に彼らよりも優れているわけでもないということです。
私たちも、持っていたものが偶然環境に合っていて「長所」となったため、たまたま生き残っただけなのですね。


全ての生命は平等であり、そこには「上等」も「下等」も「強い」も「弱い」も「優れている」も「劣っている」も「価値がある」も「価値が無い」もありません。

あの生き物とこの生き物がこうもかけ離れた姿をしているのは、ただ単に「居場所」が違うだけ。

皆がそれぞれの居場所……「生命の樹」の上でも、物理的な生息空間でも……と、それぞれの役割を持っているため、地球生命は回っている……。
それぞれできることとできないことがあるからお互いに補い合い、生態系が成り立っているのですね。


……なんだか人生哲学みたいですね。
こういうことに気付くことができた時、きっと全ての生き物が愛おしく感じられるようになり、同時にその人の人生はより豊かなものになっていくのでしょう。


だが人生に直接関係ない?

……このような大事なことをどうして義務教育で教えないのだろうか……。

……人生に直接役に立たないから……?

ですがそんなこと言ったら義務教育で習うものなんて人生においてはほとんど役に立ちません。
小学校の時に逆上がりが上手かったからと言って、それがいったい何になるのでしょう。

むしろ税金の納め方だの年金制度の仕組みだの住民票の使い方だの婚姻届の出し方だの、直接関係のあることを教えればいいのにと思うのですが、そういう大事なことは全部学校では教えてくれないのですね。

そんな状況で直接人生に関係の無い分類学を教えることを今更恐れる理由もない気がするのですが……。

それに人生において隣に住んでいる生き物が人間だけだとは限りませんね。

クモやダニ、昆虫などはすぐそばにいますし、地域によってはノラネコやノライヌ、はては人間のふりをしたキツネなど、様々な生き物がいることと思われます。

身近な生き物たちの「位置」や、彼らとの付き合い方を学んでおくことはとても重要だと思うのです。

全ての生命がただ1つの大きな樹の上で繋がり、補い合って生きているものだと気付くことができれば、むやみやたらに他の生き物を怖がったり目の敵にしたりする必要も無くなりますし、動物虐待などの痛ましい事件も起こらなくなると思うのですね。


ですが残念ながら、未だに人類が進化の究極の形態であり、最も優れた生き物だと思っている人たちが多いように思います。


きっと彼らは「分類学」も「生命の樹」も知らないのだろう。
「優れた生き物」も「劣った生き物」も存在しないということがわかれば、そのまま「優れた人間」も「劣った人間」もいないということに気が付くはずですし、それができれば自分が「優れている」などとむきになって言い張る必要もなくなるはずなのですが……。


………分類学……もっと広まればいいのに。